私は若くして両親ともを病気で亡くした。母が先に逝き、2年後父がそれを追うように逝ってしまったのは私がまだ大学生の頃だった。ってまあそれは前置きなんでどーでもいいんですけども。

父はとあるジャンルのマニアだった。まあ今だったらオタクと言っていいだろう。おかげで父亡き後には押入れ一杯の関連書籍が残された。正直困った。私にも兄弟にもさっぱり興味が無いジャンルの膨大な本たち。ただし私も兄弟もオタクだった。オタクの子はオタクなのだ。オタクの本に対する愛着執着はよーーーーくわかっていただけに無碍に捨てる気にもならず、主をなくした本たちは長いこと押入れで眠りについていた。

そんなこんなで月日は過ぎて父の十三回忌も終わったころ、兄弟の結婚を期に我が家も色々事情が変わり、自宅の整理をせねばならなくなった。押入れ一杯の本もどーにかせねばならない。押入れたるもの永久の安息の地ではない。家がなくなれば押入れもなくなるのだ。しかし私にはさっぱりわからないマニア書をどう処分したら良いものか。もう面倒だからまとめて捨てちゃおうか。悩んだ挙句私は痛みの激しい本や雑誌類のみを資源ごみに出し、比較的状態の良いものについてはヤフオクに出品する事にした。相場がまるでわからないので全て50円〜100円スタート。価値がわかる人、それらを欲してくれる人の手元に渡るなら金額なんてどーでも良かった。

数回にわけて出品しているうちにそれらはぼちぼちと落札されていった。競り合いで数千円になる本もあれば、いつまでも回転寿司になっている本もあった。まあそんなもんだろーと思いつつ少しずつ出品を重ねていったある日、少々古ぼけたなんだかよくわからない専門書をいつものように100円で出品したところ、そのオークションは今までとは違った動きを見せた。ものすごい勢いでウオッチリストがつき、これまたものすごい勢いで入札が付き出し、なんだかすごい金額で落札されてしまったのだ。なんだなんだ。何が起こったんだ。激しく驚愕した私は落札者にメールで(その時はまだ取引ナビではなくメールのやりとりだった)「この本には何かあるのですか?」と聞いてみた。返ってきた答えによると、その本はその道のマニアには「バイブル」と崇められているのだが、小さな出版社(現在はない)からの極少数部の発行だった為、現在幻とされている本なのだという。ヤフオクなんかにヒョイと出てきたので見つけた時はこっちが焦ったと彼はメールで語った。私は彼に「実は亡くなった父の本で、捨てるつもりだったのだがもしかしたらと思ってヤフオクに出してみた。結果貴重な本だったとわかり、捨てなくて本当に良かった」と返事を出した。落札者の彼からは「亡くなったお父様の代わりに僕が一生大事にします」と返信が来た。ネットオークションでこんなこともあるんだなー。わからないからって捨てなくて良かったなーと、私にとってこれは美談の思い出となった。蛇足だが、その後他の父の本にはそれほど高額落札になったものはなかった。貴重だったのは1冊だけだったようだ。それでもたとえ最終的に10円落札になった本でも、欲しいと思ってくれる父と同じ趣味のマニアの人の手に渡る事が出来たのならそれはそれでいい話だ。きっと父も喜んでいるに違いない(たぶん)。



先日、以前職場で同僚だった私と同じ年齢の友人と食事をした。すると彼女もまた、現在家の中を整理せねばならなくなって大変なところなのだという。捨てちゃうならリサイクルなりオークションなりに出してみるのもいいよという例のつもりで上記の話をしてみた。落札者からの最後のメール(亡くなったお父様の代わりに大事にします)のあたりのくだりを聞くと、彼女は開口一番こう言った。
「キモー」

わかっていたつもりだった。オタクと一般人の間には深くて広くて長〜〜〜〜〜〜〜い川が流れていて、両者は永久にわかりあえることはないのだと。しかし上記の話なんか普通に一般的に美談で通るんじゃないかと思ったのだ。私の認識はまだまだ甘かった。「キモイ」と言った彼女は悪くない。きっと素直に感じたままを声に出しただけだ。オタク特有の物や本に対する愛着心や、共通の趣味を持つマニア同士の密かな連帯感など知るよしもないのだろう。私が思うよりはるかに、オタク性質の人間とそうではない一般人の間の川幅は広かったということだ。



追記・2008/5/26 AM0:00
寝る前に見たらはてブがいっぱいついててびっくりしました。
私の文章がわかりにくかったようなので補足しますが、友人はその趣味そのものに対して「キモ」と言ったのではなく、『見ず知らずの人の遺品を一生大事にする』と言った事に対して「キモ」という感想を持ったのではないかと私は感じました。(それも私がそう思っただけで違うかもしれないんですけど)
また、別に彼女が「キモ」と言った事自体は悪いとも間違っているとも私は思いません。単純に彼女はそう感じたと、それだけだと思います。そして私は「キモイと感じるのか」と思うと同時に「自分の趣味のコレクションは、自分の死後はその価値をわかってくれる人に受け継いで欲しいと思うマニア心がわからないなら、根本的にわかりあえないな」と思ったということです。
ちなみに父の趣味は広義ではてっちゃん(鉄道マニア)です。その本が何のバイブルなのかの説明はマニアックすぎて私にはさっぱりわかりませんでした(笑)

15:42 │comments(44)trackback(0)    ブログパーツ
 
昨日、オタク男の友人と酒を飲みに行った時の事。
待ち合わせ場所で彼を見つけた時、ふと気になった事があった。
「チェックのネルシャツというわかりやすいオタクルックはまあこの際いいだろう。実際オタだしそれはお互い様だ。しかし酒を飲むだけのために待ち合わせたのにそのでかいバッグは何なのだ?」
そこでその後酒を飲みながら、彼に疑問をぶつけてみた。
「何でオタ男のバッグってでかいの?何でいつもそんなでかいバッグ持ち歩いてんの?何が入ってんの?」
「何って…」
「んじゃ具体的に今日はそれに何が入ってんの?」
「えーとマンガ雑誌と〜」
そうだね。電車の中で読む雑誌があってもいいよね。…でもそれ今日発売じゃないね。今日買ったんじゃないの?家から持ってきたの?何でよ?んなでかい雑誌置いてこいよ。
「読みかけの本と〜」
じゃあ雑誌いらないじゃん!本だけ持って来いよ!ていうかお前のカバンは一体何冊本が入ってんだよ!!
「筆記用具と〜」
筆記用具!?
筆記用具が必要だとしても手帳と手帳用ボールペン1本あれば十分じゃね?なんでそんなでかい筆箱が必要なんだ?
「筆記用具何に使うの?」
「使うかもしれないし」
「でも今日は実際使ってないよね?酒飲みに来ただけだしたぶん今日はもう使う機会ないよね?」
「そうだね」
「じゃあいらないじゃん」
「でも使うかもしれないし」
なんじゃそりゃあああああああああああ

後そこからモバイルパソコンが出てくるかと期待したのだが、それは出てこなかった。「モバイルPCは持ってないの?」と言ったらこう答えが帰って来た。
「欲しいとは思ってるんだけどね〜。買ったらたぶん持ち歩くと思う」
やっぱりそうなのかああああああああああああ!!!

その後「何故オタ男のカバンはでかいのか」について話あったところ、彼の意見はこうであった。「自分の理想の環境をいつでもどこでも維持したいという欲求がある」と。


女はそこそこの大きさのバッグを持ち歩いている人が多い。これはオタ女に限らず女全てがそうである。それは何故かは女の私は知っている。まず女の財布はデカイ。そしてコスメポーチ。これが必需品だ。その二つプラス携帯やハンカチ(最近はタオルハンカチが主流なのでちょっとかさばる)ポケットティッシュなんかを入れるとどうしてもそこそこの大きさが必要になってしまう。
そう言ったら上記のオタ男の彼は言った。
「なんで化粧ポーチがそんなでかいの?化粧品なんてそんないらないっしょ」
「いるんだよ!」
「だって実際今日は使ってないでしょ」
「今は来たばっかりだからまだ使ってないけど、帰り際にトイレで化粧直しすんだよ!」
そうだ。先程の彼の答えと同じだ。自分の使いたいだけの種類の化粧品、ブラシ、鏡を常備していたいのだ。それがないと不安になるのだ。

どうやらオタ男のカバンと女のコスメポーチは同じ心理の下にある様だ。
そう考えるとオタ男のカバンのでかさがちょっと理解出来たような気がした。



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23:48 │comments(24)trackback(0)    ブログパーツ
 
まあ同人誌とは関係ないようであるようでないんですけども
「あの」代アニが倒産したとのこと。

http://www.tdb.co.jp/tosan/syosai/2239.html

年末に景気悪い話ですね。


私の近況としましては冬コミに向けて途方にくれているところです。皆さんも一緒に途方にくれましょう。いや違う。一緒にがんばりましょう。

23:14 │comments(0)trackback(0)    ブログパーツ
 
オタクとか腐女子とか。
それは別に役職名ではない。その人間の一面をあらわす形容詞だ。
それはなろうと思ってなるものではない。いつの間にかなっているものだ。
なろうと思ってなったオタクはオタクじゃない。
オタクであり続けるために努力する、そんな努力で保たれているオタクはオタクじゃない。


私は何一つだって努力したくない。何一つだって苦労したくない。
見たくもないアニメをチェックなんかしたくない。
読みたくもないマンガをいやいや読む気もしない。
やりたくもないゲームに時間を使ったりしたくない。
それで別に「オタク・腐女子失格」だと言われるならそれでいい。
私はオタクであり腐女子である事にアイデンティティを見出していない。
苦労してまでオタクであり続ける必要などどこにもないのだ。


オタクはなろうと思ってなるものではない。
また、やめようと思ってやめるものでもない。
気がついたら遠くなっている、そんなものだ。

02:30 │comments(0)trackback(0)    ブログパーツ
 
2006年03月08日
萌え生々流転   1
言葉ってのは変わっていくものである。

そんな事はわかっている。充分承知だ。
でも納得いかないモノもあるのだ。

今、一番納得いかないのは「萌え絵」という言葉だ。皆さんは「萌え絵」と言われてまずどんな絵を想像するだろうか。大方の人はギャルゲー風の目のでかい女の子が猫ミミつけてたり実用性皆無なメイド服着てたり巫女さんだったりニーソで絶対領域だったりなそんなイメージを持つんじゃないだろうか。私もそうだ。しかしそれが何故「萌え絵」という言葉で表されるようになってしまったのだろうか。それは正確には「2次元コンプレックスのキモオタ男が好きそうな絵柄」という言葉で表現されるべきイメージではないだろうか。そうだ。いつの間にか世間では「2次元コンプレックスのキモオタ男」がイコール「萌え」という言葉で表されてしまうようになってしまった。一般人が「よくわからない(アニメ・二次元系)オタク」を「萌え」という言葉でひとくくりにしてしまった。だからそんなことになってしまったのだ。本当のオタ、本物の腐女子の使う「萌え」という言葉の用法は世間一般の人が持つイメージとはかなり違う。その証拠に今私の周りでは深夜アニメの影響で「アカギ」はまりの腐女子がいるが、あの福本絵が「萌え絵」だと一体誰が思うだろう。本来「萌え」とはそんな単純なイメージで語る事が出来る言葉ではないのだ。

言葉というものは変化していくものである。ほんのちょっと昔には「オタク」という言葉も今とは違う意味合いの言葉だったのだ。それと同様に「萌え」も変化していくのだ。それは仕方がない。仕方がないことなのだが、「萌え」を創成期から使ってきたオタとしてはそんな現状にちょっと心に木枯しが吹くような一抹の淋しさを感じてしまうのだ。

そして実は「萌え」よりはるかに淋しさを感じている言葉がある。それは「ツンデレ」だ。「ツンデレ」とはそんな簡単な以下略。

02:23 │comments(0)trackback(0)    ブログパーツ
 
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このページは同人誌・オタク・腐女子系話題を取り扱っています
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