印刷所から返ってきた原稿はそのまま押入れの「原稿墓場ボックス」につっこんでしまうのだが、数年に一度は整理して処分しないと、押入れを開ける度に積んである山が原稿土石流となって押し寄せてくる事態となって大変なのだ。
久しぶり(最古ので5年前くらいか?)に開く原稿の封は、もう記憶の中で風化しきっていてまるで自分が描いたという気がしない。
ところで私は、原稿を1枚1枚シュレッダーにかけて破棄する。
これはちょっとした鬱作業である。とっておいてもしょーがないので捨てるしかないのだが、シュレッダーに吸い込まれ原稿が文字通りの紙クズになっていく様は、どうしようもなく気持ちメーターの針を下げてくれる。
はっきり言ってシュレッダーになんかかけずに普通に捨てても問題はないだろうと思うのだが、これにはいささかトラウマめいた理由がある。
たぶん15年くらい前のまだバブルの傷を引きずっていた時代の事だったと思う。私はとある三流ゴシップ週刊誌をパラパラと見ていてとんでもない記事を見てしまった。それは当時流行っていた「プロファイリング」という言葉を題材にした記事で、なんとその辺のゴミ捨て場からゴミを袋ごと拾ってきてその持ち主をゴミの内容からプロファイリングで推理するという、犯罪スレスレ、いやスレスレじゃなく普通に犯罪な記事であった。個人情報にうるさい現在にそんな記事を書いたら確実にその雑誌は回収謝罪廃刊のフルコースを辿ることになるだろうが、当時は今ほどうるさくはなかったのだ。私もそれだけの記事なら眉をひそめつつ雑誌を閉じて終わるところだったが、その記事中の写真が私の目を釘付けにした。
そう、それは腐女子のゴミ袋だったのだ。彼女は描いた落書きをそのまま捨てていた。記事を書いた記者は確か「オタクのゴミ?」みたいな簡単なコメントを述べるにとどまっていたが、その絵は私を愕然とさせた。彼女は偶然にも当時の私と同ジャンル同カップリング者であったのだ。その絵は私に萌えさせつつ凍らせるというアンビバレンツな反応を引き起こさせた。一般人の記者にはわからないくらいにはマイナージャンルだったのが幸いだったが、ある程度オタク知識がある人には一発でわかるだろうその絵。私はその時、そのゴミの主がまるで自分であるかのように共感し、全国誌に没絵落書きを晒された羞恥にのたうちまわり、そんな事が起こり得る現実に恐怖した。
その記事を見た後、私は即刻シュレッダーを購入したのだ。
今時そんな事は起こり得ないと、気にしすぎだと言われようとも、あの記事は確実に私にトラウマを植えつけた。そしてあろうことかその雑誌はいまだ存続している。きっと名前を出せば9割方の人は知っているだろうあの雑誌。私はあの雑誌を決して許さない。きっとゴミを晒された彼女と共に。
そして今日も、メーターの針を下げつつ原稿をシュレッダーにつっこむのだ。
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追記・
書いてから思ったけど、そんな訴えられる危険を犯してまで記事を書くより、やらせの可能性の方が高いかもしれないですねえ














