2007年03月18日
同人誌における愛って何だろう〜オリジナル編
 先日のエントリー「同人誌における愛って何だろう 」で私は最後に「腐女子向けパロ系がわからない人にはこの感覚はわからないかもしれないですが」と書いた。それは何故かと言うと、あのエントリーの文章で書いた「愛」とは、特定ジャンル、特定キャラクターに対する愛情を指した言葉であったからだ。腐女子向けパロディ(二次創作)では『皆の間で共通するジャンルやキャラクターに対する愛を共感しあいたい』という共感欲求が非常に強いと思っている。自分のはまっていないジャンル、知らないキャラクターへの愛には共感出来ないので興味のないジャンルの本はどーでもいい、というのが腐女子的には極一般的だと思う。

 ではオリジナル(一次創作)の愛はどうだろう。オリジナルの場合、作者というのはその作品、その登場人物の産みの親である。わが子を愛さない親がいるだろうか。オリジナルの場合は、愛は必然的に存在しているのである。差はそれを表面に押し出しているか否かだ。読者がその作品を読んで好きになった場合は、作者のその作品への愛は共感出来るものとして受け取る事が出来るだろう。しかし好きになれない作品だった場合は?その場合作者のその作品に込められた自作への愛は「どーでもいい」になるわけだが、続き物などで前作から読んでいて既に愛を感じている状態ならばともかくそうではない完全に初見の作品の場合、果たして読む前から作品や登場人物に愛を感じている読者がいるだろうか。いや、いるわけがない。読まずしてその作品が好きか嫌いかわかるはずがない。読む前に登場人物を知っているはずがない。無から読み始める読者にとって、作者のわが子同然のキャラクターへの愛情などどうでもいいのだ。どうでもいいものなら秘めておいた方が良い。作者の過剰すぎる愛情表現は時に物語の邪魔をし、結果として作品を駄作にしてしまう事も多いからだ。簡単に言えば、ぶっちゃけ「ウザい」事が多いのだ。他人の子供の幼稚園の運動会のビデオを1時間も見せられたらうんざりするだろう。それと同じウザさだ。子供を愛しているのはわかるが、その子を愛しているのは親だけだ。

 職場である日、年配の女性が孫の七五三の写真を持ってきた。「まあ可愛いわね〜」「うちの子の時はね〜」「あら、うちの子の時なんてね〜」と盛り上がっているのは子供持ち孫持ちの人たちで、独身子無しの私などは「かわいいですねー」と相槌を打つので精一杯だ。盛り上がっている人たちは相手の写真を見ながら、話しているのは自分の子供の話である。オリジナル者同士の盛り上がった会話はそれとよく似ている。子なしのパロ者には到底口を挟む隙はない。そしてパロ者の会話はアイドルの話題と似ている。共通の好きなアイドルの話をしているのにそこに「うちの子はね〜」と入っていける人はいない。同じ同人界にいながらもオリジナル者とパロ者はそうして住む世界が分かたれていくのだ。

 私は大人なので職場でそういう事があった時は写真を見て適当にほめて適当に相槌を打って笑っている事が出来るが、悪いがそれは職場だからである。趣味の場の同人ではそこまで気を使いたくないのである。
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