2008年09月21日
原稿モチベーション
前にもここに書いたが、私は自分が好きな作家さんとはあまりお近づきになりたくない。(参照エントリ「神との距離」)同じジャンル同じカップリングなのだから、イベントで隣になってしまうことや、その作家さんが私の本を買ってしまうこともあるかもしれない。それは致し方ない事なのだしその程度の距離を維持出来るならば特に問題はない、しかしそれ以上のつきあいに発展しそうになるようなきっかけは出来るだけ避けたいところ、というのが正直な気持ちだ。

そこでふと考えた。逆の気持ちだったらどうだろうか。もしかしたら隣のスペースかも。もしかしたら私の本買ってくれるかも。ていうか買ってくれなくてもこちらからぜひぜひ差し上げたい。でもってそれをきっかけにお知り合いに、あわよくばお友達になれたりなんかしちゃったりしたらキャー☆そうよ、もしかしたらこの、今描いている原稿がそのきっかけになるかもなのよ!えーちょっとがんばんないと!よっしゃー!
…………みたいな?

なんだか女子高生がバレンタインデーを前にアコガレの先輩に渡すチョコレート作ってるみたいなそんなのも楽しそうだなあ、と。希望的妄想をモチベーションに転換できたら、原稿を描くのもちょっと楽しくなるかもしれないなあ〜〜なんてイベントを目前にしてもちっとも進まない原稿を前に途方にくれつつ考えてみたりしたのでした。


そういえば私も昔は好きな作家さんのところに自分の本押し付けに行ってみたりしてたよなあ〜。(まだ痛い経験を重ねる前は「出来るだけお近づきになりたくない」とかそんな事は考えてもいなかったし)別に「あわよくばお友達に」なんて下心をもてるほどうぬぼれてはいなかったけど、単純に「××さんがもし読んでくれたらうれしいなあ」くらいの軽い気持ちでした。それこそ女子高生がアコガレの先輩に、ラブレターとまではいかないんだけど、ちょっとした差し入れ持って行くみたいな感覚で。たまにはそういう気持ちを思い出してみるのもいいですよね。きっと。

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同人誌制作・創作 
 
マンガでも評論でも日常会話でも何でも同じなのでしょうが、ここのブログを書くようになってからつくづく「伝える事の難しさ」を実感するようになりました。同人誌ではブログのようにはコメントを頂ける事が少なく、また感想としてもらえたとしても、それはある程度「伝わった」人からもらえるものか、もしくは単なる誉め言葉ばかりで、「伝わってないなあ」と感じる機会ってあんまりないのですが、ここのブログでいただくコメントを拝見すると自分の文章力表現力の至らなさに歯がゆくなることばかりです。日本語が書けるからという理由で小説を書こうと考える人がいるらしいですが、もし今コレを読んでいる中にそういう人がいるのならば、それはものすごーーーーーく考えが甘い甘いぞ!「日本語が書ける」から「小説を書く」への道は激しく厳しいぞ!とアドバイスしたいです。(そして、厳しい道程でもまず一歩を踏み出さなければ始まらないので、まず覚悟を持って踏み出してから、がんばって精進して欲しいとも思います)


というわけで、昨日のエントリー「恐怖を感じた同人誌の話」では、書いた後もどうにも気に入らなくてUPした後に何度も直ししてしまいました。その間にコメント下さった方には非常に申し訳ございません。(本来ならUPする前にもっと推敲しないとあかんのですが…ホントすみません)最近は基本的にコメント返しはしない(全員に出来ないのが心苦しいので)事にしているので新エントリーにしてみましたが、コメント4の名無しさんのおっしゃっている事はある意味正解でした。

>「私も周りの友達もあの本はつまらないと思っている。
>あれを買ってる層って何なの?絵以外見るところあるの?」
>みたいな、その本に対する価値観の押し付けを感じてしまいます。
(無断転載すみません)

これ、そう感じてもらえたのは伝わったと言う事で嬉しいです。実際その通りで「あいつは絵だけで売れているpgr」周囲の人間はみなそう言っていたのです。しかしAさんが実際に壁で列作るくらい売れている以上、そこで思考停止するよりはもう一歩踏み出して考えてみよう。絵だけじゃない何かがあるのかもしれない、私にはわからない何かがあるのかもしれない、それは何だろう?そう考えた時に「私にはわからない何か」というものの存在に対して底知れぬ恐怖を感じた、というのが前エントリの趣旨でした。
実は前エントリの話はかれこれ15年近く前の話で(笑)まあ私も若かったのですが、今、こうしてブログなどで「伝える事の難しさ」を痛感するに至った時に、前エントリに紹介したエピソードを思い出したのです。ああこの「伝える事の難しさ」「伝えることが出来ない自分の不甲斐なさ、もどかしさ」は、昔Aさんの時に「もしかしたら私は世間とは違っていて、私にはわからないだけなのかも。そしてわからない相手には私は伝える事も出来ないのかも」と感じた恐怖と出所は同じなのではないか。あの時感じていた恐怖の根っこは「意思伝達不可能」だったんだなあと。ああこんな事を書くと表現に携わる皆様には「何を今更」「わかるのが遅いよ」と思われるかもしれませんが、私はやっと今そこに考えが至ったのです。ああやっぱり鈍いのかもしれないなあ私。


と、ここまでが前エントリーの補足。ここからは蛇足つか関連して思ったことをちょっと。

「あいつは絵だけで売れているpgr」
これを私の長い同人歴の中で何度聞いたことでしょう。(オンが発達してからは更に「あいつはブラマジ(ブラウザマジック)でアクセス数かせいでいるだけpgr」なんてのも…)
これを聞くたびに何と言いますか、微妙な気持ちになります。「絵だけで売れてて何が悪い!」と。それは以前からしつこく言っている私の「絵が下手コンプレックス」のせいなのだろうとは思うのですが、私は絵が上手い人にとてつもない憧れがあるのです。絵だけで人から「欲しい」と思わせるような絵が描けるなんて、そりゃもう羨ましくて羨ましくて仕方がありません。多少話が面白くなくても、絵がそれだけ上手いならもうそれで十分じゃん!贅沢言うな!と。だいたい同人誌界ほとんどの人間は中間層の「絵も話もそこそこ」ですよ。私なんかは底辺の「絵も話もどーしょーもない」ですよ(笑)その中で大手になれるほど売れるくらいに絵が突出しているというのはそれだけでも羨ましい話です。
ただちょっと可哀想だなと思うのは、「絵が上手い」とそれだけで周囲から求められる「話」のレベルも上がってしまうという事です。絵がそこそこならば話もそこそこで許されるのに、絵がとても上手くて話がそこそこだとすぐ「あいつは絵だけで売れているpgr」と言われがちなのは大変だなあと。(…そうは思いつつもちょっと羨ましくもアリw)

そこで「僻み乙」で返せる気の強い人はいいのですが、そうでない人にとってはとても大変だと思います。昔、私の友人で、半プロ(デビューはしたけどその後軌道に乗らなかった)人がいました。その人は絵もとても上手かったし、話も長編をまとめる構成力もギャグを描くユーモアもあり、全体的に非常にレベルが高かったのですが、どうにも精神的にもろい部分がありました。読み込まなければわからない物語と比べ、絵は見て直感的に感じる部分であり、まず「絵がキレイ。絵が上手」と誉めてしまいがちです。彼女は絵を誉められるたびに「私は絵だけって事なのね!」と怒りそして凹んでしまう人だったのです。「まず絵が誉められるからといって別にそれだけって事ではないよ」といくら周囲がなだめても、彼女の落ち込む性質は治りませんでした。今は彼女はマンガもやめ同人誌からも離れ連絡もなくなりどこにいるのかわかりません。私には、彼女は自ら「絵だけで売れているpgr」に囚われてしまった被害者だったような気がするのです。



ところで、私は自他共に認める「あまり絵が達者じゃないマンガ描き」であり、「あいつは絵だけで売れているpgr」……私みたいなのがコレを言ってしまうとどう聞いても「僻み乙」以外の何物にも聞こえません。他人に対して「あいつは絵だけで売れているpgr」と言える人は幸いなるカナ。ちょっとその自信が羨ましいです。って、なんか今回は「羨ましい」ばっかり言ってるなあ。こんなんじゃ羨ましいオバケが出ちゃうよ(笑)
そもそもだいたい「絵が上手で話作りはイマイチ」で売れると「絵だけpgr」で、「絵は駄目でも話作りがすごい上手」で評価されると「すごーい」なのは不公平だと思います。なんでそういう風潮なんでしょうね。あれですかね。美人で性格悪いのは駄目で、ブスで性格いい方がいいみたいなもんですかね。見かけの美醜と内面的性格を連動させるその比較自体がナンセンスなのにな。

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同人誌全般 
 
とても怖いマンガを描いていた知り合いの話。


とある知り合いでAさんという方がいた。その人はたいそう絵が上手だった。その人の絵は完成度が高く、また華のある絵柄だった。美術系専門学校卒、現職もデザイン系ということもあって、その人の同人誌はまるで商業誌のような華やかさだった。

ただし、絵はものすごおおおおく上手なのだが、話がこれっぱかしも面白くなかった。いや、面白い面白くないというレベルではなかった。決して話がわからないというわけではないのだが、会話のシーンがなんとなく進んでいてペラっとページをめくると次のページがない。あれ?と思って前のページへ戻ると実は前のページで終わりだった……というようなオチがわからないマンガだったのだ。そんなに絵が上手なのだからちょっとシリアスっぽい雰囲気でごまかせるような話を描けばいいのにと私は常々思っていたのだが、彼女は何故かシリアスは描かずいつもギャグ(コメディ?)のようなものを描いていた。(それはきっと長いページ数のものが描けなかったからに違いない。彼女のマンガはたいてい2〜3ページ、長くて5ページ程度だったから)いやしかしあれはギャグとは言えないだろう。オチがまるでないのだから。オチがわからない、どこで終わりなのかわからないマンガというのは怖い。得体の知れない不安が読後感として残る。私がそれを知ったのは彼女のマンガからだった。

ただし彼女の本はページの大半がイラストとフリートークでマンガのページは割合的にそう多くなかったので、彼女の本が売れていても私は不思議だとは思わなかった。あれだけ絵が上手なのだから。イラスト集として見れば十分。マンガもマンガだと思わず絵だけ見ればいいんだ。そう思っていた。彼女のサイトの掲示板や拍手では「マンガが面白かったです〜〜」というコメントがとても多かったりするが、「面白かったです」なんていう具体的じゃないアイマイな言葉は単なる誉め言葉の代表として使われているだけに違いない。だってアレが面白いはずがないのだから。そう思っていた。

ところが、彼女がだんだん売れるようになってなんだか壁で列作っちゃったりするようになったりし出した頃、私は自分に疑問を持つようになった。「もしかして……あのマンガ面白いのか?」そう、私にはわからないだけで、他の人たちには面白く見えているのかもしれない。私はつまらないと思ったけれど、私の読解力や感性が世間一般と大きくずれているだけで、普通の人には面白く読めるのかもしれない。…………もし、もしそうなのだとすれば、私が自分では面白いと思って描いたものも、他の多くの人には通じていないのかもしれない。ふと生まれた疑問に私はとてつもない恐怖を感じた。自分の感性、自分の読解力が世間と相容れない。そうそれは、私が見ている世界はニセモノで、他の人には違う世界が見えているのかもしれない、そんな恐怖。


共通の知り合いに意見を求めたところ、Aさんの作品に対しては全員が私と同じ見解であった。そこで自分の読解力不足という線は消えて少しほっとしたのだが、それでもまだ心の底に疑問は残っている。私たちにはわからないオチがAさんの作品にはあって、Aさんの多くの読者たちにはそれが読み取れているのではないか。Aさんの読者は若い人が多い。若い感性でしか読み取れない何かがあるのではないか。


……というわけで、彼女のマンガは私にとって(色々な意味で)とても怖かったのでした。



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同人誌全般 
 
さっきPCたちあげたら友人からメッセが。
んで「夏コミ乙〜」とかそんな話してたら、その友人が「夏コミは嬉しい事があったんよ」とか言うんです。彼女はオリジナルの本作っているんですけども、んで夏コミ新刊は彼女のキャラがちょっといつもと違うカッコした表紙の本だったんですけども、何でも通りすがりの人が「あ、××(キャラ名)が▲▲だー」とか言って買ってくれたんだそうです。自分のキャラ名呼ばれるのを目の前で聞いたらものすごく嬉しかったと。んでもってついでにその人かまたは別人かはわからないんですけども、とっても嬉しいお言葉の感想メールをもらったと。なんともうらやまいい話ですね。
でもってまあ「いいなーうらやましーなー」とか言いつつ話聞いていて、ふと気がついちゃったんです。いつもだったら私、新刊を出した後はしばらくはPCたちあげてメールチェックする時に「感想来ないかな〜〜」とちょっとワクワクしたりしちゃってたんですけど(でもってその期待ははずれっぱなしだったわけですけども)、今回の夏コミの後は今日彼女とメッセするまで、私、私、

感想なんてもんの存在すらすっかり忘れてました。

メールチェックの際にも1ミリもそんな事考えてみてもいませんでした。

感想が来なさ過ぎて、可能性はおろか存在すら忘れてしまう境地にまで達してしまった模様です。

なんといいますか、どうせ来ない物なら期待するよりは脳内からその存在を消してしまっていた方が幸せってことなのかしら。感想なんか気にせずに、作品製作そのものに喜びを見い出せということなのかしら。こんな境地に達した私はそれはそれでハッピーなのかしら。どうなのかしら。
あら?なんか目から水が出てきたわ。


ついでに。
私、今さっきはじめてライブドアブログの拍手にコメント機能がついたことを知りました。
ブログにログインしただけじゃわからなくて、それとは別にプロフィールの管理にログインしないとわからない仕様ってどーなのよプンスカ。
いや、プンスカじゃなくて。
こんな凹んだ気持ちの時に、たくさんコメントがたまっていたのを発見して、おかげでかなり癒されましたのです。個別レスとか出来なくてすみません。みなさまありがとうございました。



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同人誌制作・創作 
 
勝手な同人用語シリーズその9 「当たり/はずれ(絵)」

作中の性交シーンにおける結合状態の図で
「なんだよこれ入ってねーよ。この体位じゃ抜けるよ」
「チンコ曲がってんじゃねーの?」
とつっこみ入れたくなるような
雑技団様人体からみ図の事を「はずれ(絵)」と呼ぶ。
逆にちゃんと入ってそうな絵は「当たり」となる。
当たり絵の中でも特に、簡単なラフ下書きの段階で
一発でジャストフィットでパーフェクトな絵が描けた時を
「ホールインワン」と(私が心の中で)呼ぶ。


「はずれ(絵)」の原因は
ほぼ9割までが基礎デッサン力不足によるものだが
無理な体位、無理な構図へのチャレンジ精神が
はずれを呼ぶこともある。
また、絡みシーンになると突然受け側キャラが縮む
(もしくは攻キャラが巨大化する)病によることもある
(ブログ主の実体験による。オレだよオレオレ。)


不幸にしてはずれてしまった時の対処法
1)腰のあたりに謎のシーツや謎のシャツなどを
上から描きこんでみる。
(上級・観葉植物などを画面手前に配置して隠してみる)
*効果トーンを上から貼ってごまかそうとすると
その箇所を逆に目立たせてしまい
事態が悪化してしまう事が多いので要注意。
2)結合部あたりにフキダシを上から描きこんで
適当に「アッー!」とか書いてみる。
3)「スマタもいいよね〜」と現実逃避してみる。
4)描き直す。
5)後で描き直そうと思いつつ放置して
結局時間切れでそのまま入稿し
そんな絵はなかったこととして忘れる。


5)を選んだ場合は、9割9分の確率で
次回以降にも再発します。(実証済み)
まあ、変な棒が変な穴に入ってるとか入ってないとか
そんな事は長い人生の中ではたいした問題じゃありません。
気にせず生きていきましょう。

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同人誌制作・創作 | 同人用語シリーズ